原チャリよもやま話

【絶品輪業通信 No.102】

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中の人

今日は、先日のSW-1のときのように絶品輪業中の人の独り言をつらつらと書きたいと思います。

私が免許を撮ったのは1983年で16歳でした。最初は原付免許だけ。その頃周りにはたくさんの原付が走っており、その中でも2スト50ccスポーツは至高でした。日本の経済は上向きを続け、まだ社会にもっと上を目指そうという空気がありましたね。だからスタイリッシュでまったり乗る雰囲気系がいいね、なんて気持ちはどこにもなく、速いマシンが人気。

友人がホンダMB5の中古車を買ったのが2スト原チャリに触れた最初です。大きなくしゃみをしたらエンジンが落っこちそうに思えるけれど、これがなかなか速く、私の4ストCB50JX-1、トップスピードでも加速でもかなわない。ワインディングを走りひとやま越ての通学ですから毎日追っかけっこです。(トップ写真参照)

その友人がMB5から水冷のRZ50に乗り換えるとさらに差がついて(特に上り)でくやしくて。

メーカー自主規制値いっぱいの7.2PSエンジンで、スピードメーターの針は80の数字を軽くオーバーしていました。タコメーターが壊れていてストップウォッチのようにぐるぐる回っていたほどボロなのに速くて、CBでは太刀打ちできない。

しょーがないから買いましたよ、私もRZ50を笑
ちょうどその年の秋に、若者による事故があまりにも多い原付に対し、60km/hの速度リミッターが付いてしまった時期。RZ50もリミッター付きの赤いのになっていましたが、私は規制前の中古車を探して探してゲット。

シートのあんこを抜いて、スワローハンドルをつけました。

それから白いRZ2台で通学ですよ。警察によるネズミ捕りも盛んだったから、主要道路は通らず裏道をかっ飛ばして。よく転びましねこの頃は。眼の前から友人が乗るRZが急に消えた、と思ったら落っこちていたり。そんなのばっか。青春でした。

同級生もみんなバイクに乗っていたので、別の友人がホンダMBX50を購入。

もちろん速度リミッターじゃなく馬力を落として来た大失敗バージョンではありません、↓これが1984年に発売された、シオシオのパーな5.6PSに馬力ダウン版。

売れなくなって、慌てて7.2PSに戻したMBX50Fを1985年に出してきたのは笑いましたが。

MBX50を借りて乗った印象はRZよりぎゅっとつまった感じで、燃料タンクは太めだけどコンパクトな印象。トルクバンドがはっきりしていたRZより全域でスムーズに回るホンダらしい2ストエンジンでしたね。

AR50も借りて乗りましたよ。水冷じゃなく空冷って時点でなめていました。どんぐりの背比べなんですが、わずかな差が気になったもんです。でも走りは意外なほど良かった。

もちろん最新だったRG50Γが最強でしたが、出たばっかりで中古車が少なく、価格も高くて高校生に手が出ません。それとゲッターロボみたいな顔したデザインもあまり好みじゃありませんでした。

ヤマハの2ストアメリカン RX50スペシャルに乗っていたヤツもいました。ヤマハらしくスタイリッシュでちょっとかっこいいと思いましたね。でもコーナーを攻めてナンボだった若い頃の中の人ですから、これじゃ満足しない。

オフ好きの中には、ハスラーTS50やDT50でぶいぶいいわせている輩もいました。写真はTS50。

スクーター派も含めてみんなが乗っていたから、海にいったり、遠くへいったり、いろんなところに行きました。翌年には自動二輪免許を所得してRG250Γを買ってしまったので、RZ50にはわずか1年足らずしか乗りませんでしたが、甘酸っぱい楽しい思い出がいっぱいなんです。私と同世代は似たりよったりの青春を過ごしたはずです。

昔を思い出しながらのとりとめのない話でした。

それではまた。

絶品輪業 中の人

人気のビンテージバイクだけでなくマニアなものまで強くこだわり、販売をしているビンテージバイクディーラー「絶品輪業」の中の人です。

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